今日の一言 近所に捨てられていた石臼に思う

2014/03/31

事務所近くの空き地に、写真のような石臼が捨てられています。
おそらく、新築工事がなにかのために、土地全体を更地にしたのはいいが、動かすのが面倒なので、そのまま残っているということなのでしょう。こんなの買えば数万円は、するのにね。誰も盗まない(笑)。
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石臼といえば。

昭和の半ばぐらいまで、たいていの家には、一家に一台あったはずです。
私は、昭和44年生まれですが、石臼が、家にあったのをよく覚えています。

それで、お祭りなどのときには、それで、みんなで餅をついて、たべる訳ですが、これがまた美味しい。なぜ美味しいのか?

それは、家族で餅をつく、というプロセスそのものが楽しめたからではないでしょうか。
使い古された言葉ですが、現代社会の流れというのは、「便利」「自動化」という方向ですすんでいます。ですから、餅も他人が「自動的」につくって、それを買うだけのほうが「便利」になってしまったんですね。

フリーターやニート、引きこもりといった、社会現象があります。
私は、これらの子は「餅をつく」ことさえ、できれば、こんなことにはならなかったのでは、とさえ思っています。

子どもながら、重いと思いながら、杵をもちあげて、振り下ろす。
それをお母さんやお父さんが、微笑ましい顔をしてみている。
兄弟が、おれにかわれ、私にかわれと言う。
「いやだ。おれがやりたい」
とかいって、ケンカになったりします。(^_^;)

そして、最後にはお父さんがでてきて、
力強く、振り下ろす。
そして、美味しい餅が食べられる。
だいたいの家庭では、こういうプロセスだったのではないでしょうか。
そんな家庭の子が、ぐれたり、しませんよね(笑)。

空き地に捨てられている石臼。
捨てられているその姿は、日本人が「温かい家庭」そのものを失ってしまったことを象徴しているようで、なんだか寂しい気持ちになりました──




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